横山温大(県岐商)・両親がすごすぎる!左手指欠損を家族でカバー!

先天性の左手指欠損というハンディを抱えながら、甲子園の舞台に立つ県立岐阜商業の横山温大(はると)選手

その強さの裏には、どんな家庭環境があったのでしょうか?

「野球がしたい」と言った息子に、両親は何を思い、どう向き合ったのか。

この記事では、横山温大選手の父親・母親それぞれの姿と、

家族の歩みをじっくりひも解いていきます。

ただの美談では終わらない、“本当の支え”が見えてくるかもしれません。

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目次
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横山温大の両親とは?

どんな家庭で育った?

横山温大選手は岐阜県各務原市出身、3人兄弟の末っ子として生まれ、上に兄と姉がいます

家庭内では笑顔が絶えず、野球への情熱にあふれた明るい空気が流れていたようです。

横山温大選手は生まれつき左手の指がない、先天性の手指欠損というハンディキャップを抱えていました。

横山温大
画像引用:プライムオンライン

親にとっては突然の現実であり、少なからず戸惑いや不安を感じたことは間違いありません。


それでも、両親は悲観的にはならなかったそうです。

特に母親の尚美さんは、日々の生活を大切にしながら、笑顔を絶やさず温大選手の心に寄り添ってきたといいます。

兄と姉も、特別扱いせず、自然な関わり方で温大選手を支えていました。

こうした家庭環境が、「弱音を吐かない」と周囲が口をそろえる横山温大選手の土台をつくっていったのかもしれません。

野球を始めたきっかけは?

横山温大選手が野球に興味を持ったのは、兄と姉の影響が大きかったようです。

兄・姉ともに野球をしていた横山家。

温大さんが、「自分もやってみたい」と思うのは普通のことかもしれませんね。


5歳のとき、初めてグローブを手にした横山温大選手。

その時点では、まだ本格的にプレーできるかどうか、両親も判断がつかなかったといいます。

左手の指がないという事実を前にして、「野球は難しいかもしれない」と思う瞬間もあったようですよ。


それでも父の直樹さんと母の尚美さんは、温大選手の「やりたい」という気持ちを否定しませんでした。

  • 「まずはやらせてみよう」
  • 「挑戦させてみよう」

という柔軟な考え方が、後の温大選手の成長を大きく後押しします。


小学3年生になると、地元の少年野球チームに加入

義手を使いながらプレーするという前例のない挑戦にも、家族全員が後押ししてきました。

ピッチャーをやる時は普通に左手にはめてそのまま捕るけど、外野をやるときは左手だと掴めないので、右手で掴んで握り変えてやる

引用:プライムオンライン

こうした背景には、「できない理由を探すより、できる方法を一緒に見つけよう」という両親のスタンスがあったからこそ。

まさに、横山温大選手の原点には、両親の大きな愛情と柔軟な応援姿勢があったのです。

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横山温大の父親はどんな人?

父親
画像引用:プライムオンライン

努力の大切さを教える

横山温大選手がここまで努力を重ねてこられたのは、父・直樹さんが「努力の大切さを教えたから」です。

父親の直樹さんは、野球経験者ではありません。

それでも温大選手の夢を尊重し、そっと背中を押してきました。

印象的なのは、直樹さんが口にしたあるひと言。

「お前は人の倍、練習しなきゃいけないぞ」

この言葉は、決してプレッシャーをかけるためではなかったそうです。

むしろ、「障がいを言い訳にしない強さ」を持ってほしいという、父親なりの願いが込められていました。

温大選手はこの言葉を心に刻み、毎日300〜400回の素振りを欠かさず行ってきたといいます。

努力は裏切らないと信じて、黙々とバットを振り続けた日々。

そこには、父親が植えた“努力の種”が、しっかりと芽を出していたのです。

練習に付き添うが干渉はなし!

父親の直樹さんは、温大選手の練習にたびたび付き添ってきました。

仕事のあとは、バッティング練習やシャドウピッチングにずっと付き合っていたんだとか。

ただ、その姿勢は「過干渉」とは真逆なような気がします。

  • 教えすぎない
  • 先回りしない
  • 見守るだけ

この3つを意識して、“支える”立場に徹していたのではと思いましたよ。

「うまくなったなぁ」とはインタビューに答えていましたが、具体的にアドバイスをしたというエピソードは見当たりませんでした。

温大選手を信じて任せていたんですね。


この“信じて任せる”という姿勢が、温大選手の自主性とメンタルの強さを育てることにつながりました。

失敗も成功もすべて自分で受け止め、前に進む。

そういった力が養われたのは、父・直樹さんが“あえて手を出さなかった”からこそです。

こうして、温大選手にとって父親は「言葉ではなく、姿勢で語る存在」となっていきました。

時に厳しく、でも決して押しつけることはない。

だからこそ、今でも「父は尊敬する存在」と語るのでしょう。

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横山温大の母親はどんな人?

母親
画像引用:プライムオンライン

横山温大さんの母親は食事面から手厚いサポートで支えてきました。

父・直樹さんが「努力の背中」を見せてきたのなら、母・尚美さんは「日常の安心感」というところですね。

育ち盛りで、しかも毎日ハードな練習をこなす温大選手にとって、食事は体づくりの要でした。

とはいえ、なんでもかんでも食べてくれるわけではなかったそうです。

とくに野菜は苦手で、子どものころはよく残していたといいます。

そこで尚美さんがとった工夫が、「見た目と味のアレンジ」。

たとえば、

  • ほうれん草をハンバーグに混ぜる
  • ピーマンを細かく刻んでカレーに入れる

など。

一見わからない形で野菜を摂らせるようにしていたんですね。


食事
画像引用:メーテレ

「これなら食べられる」と言って完食する温大選手の姿に、母としても思わず笑みがこぼれたそうです。

さらに、練習や試合前の食事メニューも徹底的に研究していたとのこと。


タンパク質の量や、消化の良いもの、体に負担がかからないものなどを考えて献立をくんでいるのでしょうね。

こうした“見えない努力”の積み重ねが、温大選手の土台を支えていたのは間違いありません。

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横山温大の両親への思いは?

最強の家族

横山温大選手の家族は、まさに最強の家族です。

これまで何度も「両親がいなければ今の自分はない」と語っています。

メディア取材でも、「ここまで来れたのは父と母のおかげです」とはっきり口にしていますよ。

「お父さんとお母さんに今まで支えてもらったので、その恩返しをこの夏にしていきたいと思います」

引用;メーテレ

試合後のインタビューでも、チームや仲間への感謝と並んで、必ずといっていいほど両親への感謝を伝えているんです。


その姿勢からも、どれほど家族との絆を大切にしてきたかが伝わってきますよね。

見守る父、寄り添う母、どちらが欠けても成立しなかったこの関係性。

だからこそ、温大選手にとって両親の存在は、ただの“家族”を超えた最強の家族だったのでしょう。

信頼度がえぐい

横山温大選手と両親のあいだには、まさに“絶対的な信頼”があります。

やりたいことを否定せず応援してくれる…心強い存在ですよね。

だからこそ、自分を信じてトライし続けていられたのではないでしょうか。


困難を乗り越える力の裏には、必ず「信頼できる人」の存在があります。

温大選手にとって、それは間違いなく、父と母だったのではないでしょうか。

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横山温大の両親の子どもの才能の育て方!

横山温大選手の両親の子供の才能の育て方を3つのポイントでまとめてみました。

  • できることに目を向ける
  • 共感する
  • それぞれの役割を大切に

詳しく見ていきましょう。

① できることに目を向ける

先天性の手指欠損があると知ったとき、横山温大選手の両親は正直ショックだったそうです。

でもそのあと、「できないことを数えるより、できることを育ててあげたい」と考え直したといいます。

たとえば、キャッチボールがうまくできなかった幼少期。

父親:手の形は関係ない、工夫すればいい
母親:楽しそうにやってる姿が大事

と思い、一緒に試行錯誤じたそうです。

このように、“できる”部分にしっかり目を向けてあげるスタンスが、才能を育てる第一歩になったのかもしれません。

② 共感する

横山温大選手の両親は共感するという点を大切にしていたようです。

うまくいった日には一緒に喜び、つまずいた日は静かに寄り添う。

そんな両親のスタイルが、横山温大選手の心を安定させていたんですね。

小学生の頃、試合でエラーをしたときも、責めるのではなく「くやしいよね」と気持ちに共感。

子どもにとっては、技術よりもまず“心のケア”が育成につながるんですね。

③ それぞれの役割を大切に

横山温大選手の家庭では父は外で背中を見せ、母は家で心を整えると役割が違います。

無理にどちらかが全てを抱え込むのではなく、それぞれができるサポートを続けること。

これが結果的に、横山温大選手の“折れない心”を作ったのではないでしょうか。

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横山温大と両親との軌跡

横山温大
画像引用;プライムオンライン

甲子園を目指した少年時代

横山温大選手が野球に夢中になったのは、小学3年生のころ。

兄や姉の背中を追いかけるように、地元の少年団に入りました。

当初は義手をつけてのプレーに戸惑いもあったようですが、両親が「やりたいなら全力で応援する」と背中を押しました

中学では江南ボーイズに所属し、投手と外野手をこなす“二刀流”として注目される存在に。

親子三人四脚で、着実に甲子園への道を歩んでいったのです。

念願の甲子園へ

岐阜商業では、1ケタ背番号を勝ち取り、主力として試合に出場

県大会決勝では、強豪・帝京大可児相手に3安打3盗塁の大活躍を見せ、見事甲子園へ出場を決めました。

試合後のインタビューでは両親への思いを口にするとともに、

自分みたいなハンディを背負っていても、関係なくできるんだぞっていうところを甲子園の舞台でもしっかりアピールして、ハンディを抱えた子たちにも勇気や希望を持って自分でも出来ると思ってもらえるようにプレーしていきたい

引用:東海テレビ

このように、未来の野球少年に向けても言葉をかけていました

このひと言に、これまでの道のりと、両親への深い愛情が詰まっているようにも感じますね。

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まとめ

今回は県立岐阜商業・横山温大選手の両親についてまとめてみました。

  • 横山温大は兄と姉に憧れて5歳で野球を始めた
  • 先天性の左手指欠損というハンディと向き合いながら成長してきた
  • 父親:「人より練習しなきゃダメだぞ」と声をかけ続け、付き添いながらも自主性を大切にした
  • 母親:栄養面に力を入れ、毎日の食事作りを徹底した
  • 横山温大の努力の背景には両親の存在が欠かせなかった
  • 家族は「できること」に目を向けて役割を分担しながら、才能を最大限に伸ばしてきた

障がいがあるから無理だとあきらめず、「どう支えるか」に向き合った両親の姿勢が印象的でしたね。

家族の愛と信頼が、横山温大選手の“本物の強さ”をつくっていました。

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