ドラマ・下剋上球児での熱演が光った、中山翔貴さんは青山学院大学卒で野球歴16年という根っからの球児です。
そこで気になるのが、青山学院大学野球部時代の成績ですよね。
更に、その16年の野球経験がドラマの出演をもぎ取ったというのですからスゴイです!
この記事では、中山翔貴さんの青山学院大学野球部での成績や、主将だったというのは本当なのか…
また、野球経験が活きたドラマのオーディションとはどういうことなのかについてもまとめましたよ!
さっそく調査していきましょう!
中山翔貴の青山学院大学での成績は?
ズバリいいますと、中山翔貴さんの青山学院大学での主な成績は、4東都2部リーグ優勝、また7年ぶりの1部昇格です。
また中山翔貴さんの青山学院大学野球部でのポジションはピッチャー。
更に、後述しますがキャプテンも務めていましたので、名実ともにチームを支えたということになります。
見事な成績ですよね!
中山翔貴・青学時代の好成績の秘訣!
では中山翔貴さんが青山学院大学時代にこれほどの成績をおさめた秘訣は何なのでしょうか。
理由を考察すると、以下が考えられました。
・努力家
・メンタルの強さ
ネットの情報によりますと、中山翔貴さんはかなりの努力家!
どんなに疲れても帰宅後、自主トレを欠かさなかったようですよ。
実力がすべての世界、コツコツと努力をした人が良い成績を残すのは当然ですよね。
また、中山翔貴さんはかなりメンタルも強い人物です。
というのも、高校時代に甲子園を目指していた東東京大会の試合後の記事が残っています。
一回に2点を献上したが、直球主体に100球を投げ、逆転勝ちを呼び込んだ。
引用:サンスポ|中山秀征Jr.青山学院・翔貴、7回2失点で初戦突破/東東京
(中略)
1年からベンチ入りするなど期待は大きかったが、腰椎分離症に悩まされた。一時は「サイドスローを試し、投手をあきらめることも考えた」と振り返る。
この記事からもわかるように、投手をやめるほどの大けがをしているのです。
それにも関わらず、高校時代からの驚異的なメンタルで好成績を残すまでに這い上がったんですね。
更に、この記事があるということは、中山翔貴さんがかなり注目を浴びているということ。
確かに、
超芸能人の息子のわけですからみられることも多いですよね。
「ひでちゃんの息子、今日投げてるんだって~」と注目の的なのは間違いなかったはず。
その環境下で、中山翔貴さんは高校時代から青山学院大学の卒業まで好成績を残したのです。
かなり精神が強く無いと難しいですよね。
中山翔貴は青山学院大学野球部の主将!
結論からいいますと、中山翔貴さんは青山学院大学野球部で主将を務めていました!
青山学院大学の野球部というと超名門として有名です。
メジャーリーガーの吉田正尚さんや、ヤクルトで活躍した石川雅規さんも卒業している野球部です。
そんな強豪野球部でキャプテンを務めたのですから、すごいですよね!
中山翔貴はなぜプロを目指さなかった?
中山翔貴さんは名門・青山学院大学野球部の主将まで務め、好成績をおさめてきたようです。
ではなぜ、プロを目指さなかったのでしょうか。
その理由は、高校時代から痛めていた腰とイップスのようです。
中山翔貴さんは高校時代に痛めた腰が、大学時代に再発をしてしまったんですね。
そのため、投げ方をアンダースローに転向するなどしましたが成績不振につながります。
更にそのストレスから、イップスも発症しこのまま続けられないと思ったようですよ。
一度は乗り越えた怪我でしたが、16年間の野球生活でのかかる負担はおさえられないといったところだったのでしょう。
この時の絶望はどれほどのものだったのでしょうか、辛かったでしょうね。
ちなみに、同じ青山学院大学野球部のチームメイトでプロ入りした選手は、
・鈴木駿介選手(同級生):楽天モンキーズ(台湾)
・泉口友汰選手(1学年下):読売ジャイアンツ
・下村海翔選手(3学年下):阪神タイガース
・中島大輔選手(3学年年下):東北楽天ゴールデンイーグルス
・常廣羽也斗選手(3学年下):広島東洋カープ
これほどのメンバーをまとめて青山学院大学野球部では主将を務めていた中山翔貴さん!
人望もかなりのものだったのではないでしょうか。
中山翔貴のドラマ出演は野球経験が決定打!
結論からいいますと、中山翔貴さんがドラマ「下剋上球児」に出演したのは野球経験が決め手となったようです。
実際のところ中山翔貴さんはオーディションの最終選考で落選しているのですが、
となったという経緯があります。
ドラマ出演の決め手が野球経験というのは間違いのない事実なんですね!
そもそもこのドラマのオーディションは…
書類選考通過参加者:125名
二次先行:演技審査
最終先行:野球の実技審査
だったそうです。
実のところ、中山翔貴さんはは最終先行までは進んだそうですが一度落選。
しかし、実技審査の際に投げた「140km/h」の球が制作陣の記憶に残り後日繰り上げ合格の連絡がきたようです。
16年続けた野球の実力はダテじゃないですね!
更にYahooニュースには、下剋上球児の撮影を終えた中山翔貴さんはこのように話をしていました。
若干不完全燃焼で終わったかもしれない青山学院大学の野球部人生。
中山翔貴さんの新たなスタートとしてふさわしいドラマだったんですね!
中山翔貴の野球経歴
小学校時代:野球を始める(地元チーム・オール麻布所属)
中学校時代:外野手(青山学院中等部)
高校時代:
・ピッチャーに転向(青山学院高等部)
・右投右打
・1年生からベンチ入り
・東京都ベスト16
・腰痛を発症
大学時代:
・主将と務める
・アンダースローに投法を変更
・4東都2部リーグ優勝
・7年ぶりの1部昇格
・腰痛を再発
・イップスを発症
まとめ
今回は「中山翔貴青山学院大学での成績は?野球部経験でドラマ出演?」と題して、
中山翔貴さんの青山学院大学野球部での成績や、野球部での経験がドラマ出演につながったという噂は本当かを調べました。
中山翔貴さんの青山学院大学野球部での成績は4東都2部リーグ優勝と7年ぶりの1部昇格に貢献したということです。
中山翔貴さんは青山学院大学野球部で主将を務めていました。
中山翔貴さんはドラマ「下剋上球児」のオーディションに一度落ちていますが、最終選考時になげた140km/hの剛速球が決め手となり繰り上げ合格となりました。
以上、中山翔貴さんの青山学院大学野球部での成績や、野球部での経験がドラマ出演につながったという噂の調査でした。